遺るもの
今週私の曽祖母が亡くなりました。
今日、式が執り行われたようです。
というのも、私は大学の方で外せない審査会がありましたので、参列することはできませんでした。
ついこのあいだまで元気だったのですが、転倒して腰骨を骨折してしまったことで、衰弱していったようです。
それでも苦しまずに逝けたことは救いだったと思います。
96歳でしたので大往生ですね。
私が式に参列しないことも相まってなのか、曽祖母が亡くなった実感はありません。
悲しみはありますが、いずれその気持ちもどこかに忘れてしまうのでしょう。
もっと近しい、母や兄弟が亡くなったとしたら、もっと悲しみは大きいのでしょう。
しかし、同じようにいつかはその悲しみを忘れていくのでしょうね。
別の言い方をすれば、悲しみを乗り越えた、ということですかね。
悲しみを忘れられるから、人は前を向いていけるのでしょうが、何か少し寂しい気もします。
忘れたとしても、何か残すものがあればいいのですが、それが思想なのか、功績なのか、はたまた子供なのか。
まだ私には思いも寄りません。