M-1グランプリ2019感想
めちゃめちゃ久しぶりの投稿。
先日私の生きがいである、M-1グランプリ決勝の放送がありました。
どのコンビも尋常じゃないほど面白く、本当に笑わせてもらいました。まずは全M-1戦士に感謝。。。
そこで各コンビの感想を書いていきたい思います。文字数をエコ木するために敬称略でいきます。
1組目 ニューヨーク
初出場のニューヨーク。毒のある漫才、コントで、何年か前に売れかけたコンビですね。一時期ネット炎上などもあってか、ショーレース予選で早々に敗退してしまうなど、少しくすぶっていた時期がありました。
最近はyoutubeなども始め、徐々に復活の兆しを見せていたところに満を辞しての決勝進出。
今回の漫才は歌ネタでした。構成としてはシンプルで嶋佐がひたすら歌って、屋敷がひたすらツッコむスタイル。なので、互いの掛け合いは最初以外全くない、スーマラのエレベーターやナイツの歌ネタと同じような構成ですね。ツッコミの要所要所で屋敷の毒が散りばめられてましたが、いつもよりは毒控えめだったような気がします。屋敷の本当に面白い時の毒は、ごちゃごちゃうるさい輩が叩きそうなので仕方ないような気がします。トップバッターでしたが、どのボケも外さずにしっかり受けはとっていました。個人的にはニューヨークのもっと強い毒を見たい気がします。センスはピカイチなので、どうにか毒の強さそのままに、炎上もしないようなネタが作れればめちゃくちゃ跳ねる気がします。
某大物女性審査員のCD宣伝はどうなんですかね?私は少しニューヨークがかわいそうになりました。しかし、敗退コメントからは、絞り出した芸人魂を感じて、またニューヨークが好きになりました。
2組目 かまいたち
今大会大本命のかまいたち。器用なコンビで、漫才コント平場どこも外しませんが、これまでのM-1では真の実力を評価されていなかったように感じます(実力を出せてなかったとも言えるかもしれませんが。。)。
1本目は名作「UFJ」。おそらくかまいたちの歴代のM-1用のネタで最も強いネタではないでしょうか。割と前からあるネタで、地方民の私でも劇場で何度か見ましたし、テレビでも何度か見かけましたが、これまでM-1決勝では一度も披露されず。。。かまいたちが去年でM-1卒業と公言し、このネタをテレビでよく披露するようになったのも今年になってからでした。それを見て、
『本当に「UFJ」を決勝で見ることはないのか。。。』
と悲しい気持ちになっておりました。なので、実際に決勝でこのネタを見て感慨深いものがありました。そして、膨れに膨れた期待そのままに会場ではバカ受け。点数の出にくい1、2組目の点数としては660点というダントツの過去最高得点を叩き出しました(それまでは2006フットの640点)。
ネタの内容は、山内が言い間違いを認めずに、ひたすらそれについて口論をするというシンプルなもの。この内容を息もつかせず、ひたすら笑える4分間に仕上げるんですから、かまいたちの力量はとんでもないですね。はじめは2人の対話からスタートし、客への問いかけも含みつつ、さらには濱家が舞台を大きく使い、何回聞いても何言ってるか分からない不思議な言葉のボケと、見てて飽きさせない多様なネタ構成でした。去年のネタ「タイムマシン」も口論のネタでしたが、少し後半のデッドヒートの部分が早口で聞き取りにくい部分がありました。が、今回は終始比較的落ち着いた口調で聞き取りやすかったように感じます。濱家のニヤニヤするツッコミもありませんでしたし。。。笑 とにもかくにも、かまいたちのネタで1番好きだったネタが1番いい形で披露されたことが今大会で1番嬉しいことでした。
2本目でも、いつものかまいたちらしい口論のネタ。どうしてもUFJよりはパワーダウンするのは仕方ありませんが、それでも素晴らしいネタ。関西弁のくだりや、宗教っぽいボケなど、かまいたちらしいボケが散りばめられてました。僕は贔屓目から、かまいたちに優勝して欲しかったんですが、ミルクボーイの衝撃が強すぎましたね。。。
かまいたち、本当にお疲れ様でした。
3組目 和牛(敗者復活)
誰しもが敗者復活は彼らだろうと思っていたでしょう。人気ももちろんありますが、実際に敗者復活のネタを見ても納得の結果。なんでストレートで上がってこんねんという某大物女性審査員の言葉も頷けます。。
毎年毎年少しずつ魅せ方を変えて、しっかりサプライズ要素を折り込む彼らですが、今年のネタ構成も圧巻。
はじめは「こんな物件は嫌だ」→「誰か住んでる」というボケをひたすら繰り返すだけなのですが、その見せ方繋げ方が素晴らしい。同じ誰か住んでる、というボケなのですが、
①「誰か住んでるっぽい」
②「普通に住んでる」
③「案内してる水田が住んでる」
④「外から見ても住んでる」
と角度を変えて見せてます。これだけならよくある構成ですが、細かなちょい足しのボケ(コーヒーで、トイレ座ってやってね)が笑いをしっかり継続させています。しかし、この4つのうち明らかに最後のボケだけ少し弱いのです。この4つ単体で見ればボケが最後弱くなる分蛇足に感じますが、そこにも意味があります。それは後述します。
そして、繋げ方もオシャレ。こちらも「お邪魔しましたー」というブリッジで繋げてるだけなのですが、少しずつ変えることでその変化から笑いを生み出しています。ブリッジ自体も歩いていく後ろ姿が、なんともアニメ的なシーンチェンジで新鮮でした。漫才に奥行きができましたね。
ここまでの部分だけでもかなり達者で、十分に面白いのですが、驚くべきは全体の構成から見るとこの部分はあくまで後半へのフリ。後半に川西の部屋選びの基準が狂うことへ、自然に繋げるための準備なのです。それを踏まえて見返してみると、4つ目のボケにしっかり意味のあることが分かります。3つ目のボケまでに、川西は散々振り回されてきたわけです。そして、4つ目ではついに外から見ても誰かが住んでる。ここに来て川西のイライラは爆発します。(よく聞いてみると、4つ目の川西はすこし乱暴な口調になっています。)この爆発を仮に3つ目に入れこむとすると、すこし不自然になると思います。理由としては、まず「その部屋に住んでるのは水田」であることに気づくには少し時間がかかります。川西の爆発「住んどるやないかーーーい!!」は、分かりやすいボケに間髪入れず入れる方が映えるように感じます。そうなると4つ目の「すでに布団が干してある」というボケは少し浅めなので、うってつけにわかりやすく、短い。つまり4つ目は3つ目までのボケの積み重ねとは少し違い、前半パートと後半パートの橋渡し的意味合いがあると考えられます。ここから自然に川西の暴走が始まります。
後半パートは、「誰も住んでなかったらそれで良い」という価値観になってしまった川西の暴走パート。「イイネ」を主軸に笑わせに行きつつ、おかしな価値観による笑い(電気なんか通すとすぐ人は住よるからねetc)、人が住んでる可能性への激昂、そして最後には「イイネ」に気を取らせておいて金縛りのネタばらし式の大ボケ。特に最後のボケでの、川西が金縛りにあったことを水田の言葉に被せ気味にいう部分の素晴らしい間。和牛じゃないとあの間であのボケは言えないと思わせるようなエクセレントな被せ方。川西の暴走がここまでウケるのは、これまでの和牛が全員の頭に残っているからでしょう。真面目で振り回される川西のイメージとは正反対の状態に笑ってしまうという、本来不利なはずの複数回出てることをうまく利用した構成になっています。お見事。後半の川西の暴走具合は、2007トータルテンボスの旅行代理店の後半藤田を彷彿とさせました。
和牛はやっぱりすごい。後半に出てたら確実に最終決戦に残っていたんでしょうが、それは仕方のないことですね。。3組目までの点数で言えば、今年のかまいたちに次いで歴代2番。今年の前半の異常なレベルの高さが分かります。来年は出るかどうかは、打ち上げでは濁してましたが、やっぱり来年も和牛の漫才が見たい!ファンタジスタ和牛の頭には、最終的に冠が載っていて欲しいと願うばかりです。
以上前半3組について感想を書きました。
本当は5組書きたかったんですが、予想以上に分量が多くなったのでここで分けます。
次は年内には更新したい。多分。
ツッコミ不在
新年度初の更新です。
月一回くらいは更新しようと思いまして書いております。
ドキュメンタルという番組をご存知でしょうか。
https://watch.amazon.co.jp/detail?asin=B01N44CSBV&territory=JP&ref_=share_ios_season&r=web
芸人10人を集めて、互いに笑わせ合う。と言う趣旨の番組です。
相手を笑わせつつ、自分は笑わってはいけないという、究極のにらめっこのようなものです。
アマゾンプライムビデオで配信されているので、地上波では放送できないような強めな下ネタも含まれています。
シーズン1の頃は認知度はあまり高くありませんでしたが、今はアマゾンプライムビデオの目玉コンテンツになっていますね。
4/26からシーズン7が配信のようで今から楽しみです。
私も非常にこのシリーズは好きなのですが、最近メキシコ版ドキュメンタルなるものが配信されました。
https://watch.amazon.co.jp/detail?asin=B07Q8F5S7D&territory=JP&ref_=share_ios_season&r=web
こちらも日本のものとほぼ同じルールで実施されています。
興味があったので半分ほど見てみました。
その中で一つ日本のお笑いとの大きな差を感じました。
それはツッコミの不在です。
日本版のドキュメンタルでは誰かがボケれば、それに対して大なり小なりツッコミが入ります。
しかし、メキシコ版では、ボケに対してはリアクションのみであり、誰もツッコミをいれません。
これは笑いの文化の違いのようです。
おそらく海外には、ボケに対して訂正や指摘を入れることで笑いをとるというフォーマットがほぼ存在していないようです。
たしかに、海外のコメディアンはコンビやトリオよりも、ピンが圧倒的に多いようです。
それは、ツッコミというお笑い文化がないため、ボケオンリーで事足りるということなのでしょう。
そこで一つ疑問に思いました。
たとえば、我々はピン芸人の漫談やあえてボケを訂正しないようなツッコミ(例:まんじゅう大帝国やDr.ハインリッヒ)のネタを見た時、ボケに対して心の中で「なんでやねん!」とツッコミをいれる方が多いと思います。
普段ツッコミがやっていることを、セルフで脳内で行うわけですね。
それでは、そもそもツッコミの文化がない人たちは、同じ状況の時に脳内ツッコミは存在しているのでしょうか。
おそらく、日本人ほど顕著な脳内ツッコミは確認できないでしょう。
この点では、日本人はツッコミ不在の場合にも、各々の脳内にツッコミを出現させている特殊な民族ということになります。
このことを考えても、日本のお笑いはガラパゴス的に、かなり進んでいる(特殊な進化?)ように思います。
p.s. M-12002の解析はダラダラやっています。。。
M1グランプリ2001 漫才分析
お久しぶりです。
2月は4記事の投稿と、三日坊主感が拭えない様子です。
ただこの期間ぼーっとしていた訳ではなく、一つ企画を思いついて試行錯誤しておりました。
タイトルからも分かるように、M1グランプリの漫才分析をしてみようというものです。
いろいろな方がこすりにこすった内容だと思いますが、私なりの分析をしてみます。
台本の書き起こしをして各ボケや流れの分析などはよく行われているので、今回は極力私のセンスや感性を抜いた機械的な分析をしてみます。
◯分析項目
分析項目は以下の通りです。
・審査員の点数
・ネタ時間
・笑いの個数と1分あたりの平均
・笑いのタイミング
・30秒ごとの笑いの個数
・笑いと笑いの間隔の平均時間
それぞれ項目の説明をしていきます。
●審査員の点数
各審査員の点数です。第一回大会のみ、大阪、福岡、札幌の観客審査員がいますが、松本人志曰く
「大阪の客、頭おかしいんちゃいます?」
とのことでしたので、会場の特別審査員の点数のみ収集しました。
●ネタ時間
各ネタの、はじめに声を発した時点から、最後の言葉が終わった時点までをネタ時間としました。M-1は4分がネタ時間のラインとなっているので、この後の分析でもそこを基準にしています。
●笑いの個数と1分あたりの平均
ネタ中に織り込まれた笑いの数と、それをネタ時間で割ったものです。ネタ時間が違うので、コンビ間での比較は平均で行います。
また、「笑い」とは、ボケの個数ではなく、「笑い」を引き起こすものの個数とします。ざっくりの基準は以下の通りです。
・ボケに対するツッコミはセットで1つとする。
・ただし、ツッコミを重ねることで新たな笑いがでた場合は別に1つでカウント。
・笑いを作る意図がみられるものは、会場の受けは関係なくカウント。
ボケとしてのカウントの判断は私の感性が入る唯一の部分です。
なるべく統一の基準に心がけましたが、前半の組は少しバラツキがあるかも。。。
●笑いのタイミング
笑いをいれた、タイミングをそれぞれ以下のように時間として記録しました。
笑い1つにつき、点が1つです。
笑いが多いほど点が多く、短時間に詰め込むと点が密集します。
●30秒ごとの笑いの個数
先程の笑いのタイミングを以下のように30秒ごとで区間分けしました。
ちなみに最後終わる時間がまちまちなので、こちらも分速に変換したものです。
少しややこしいですが、30秒毎の分速、ということになります。
例えば上の1点目は2(笑い/分)なので、実際にはこの30秒は笑いが1つだったということです。
●笑いと笑いの間隔の平均時間
こちらは、各笑いの間隔秒数の平均時間になります。
これが小さいほど、笑いと笑いの間が詰まっていることになります。
しかし、一つ一つの笑いの長さは反映しないので、大ウケの長い笑いと、小ボケの短い笑いを同一に扱ってしまうので注意です。
なので、ボケの強さに関わらず、ボケの始まりと始まりの間隔と考えてください。
●備考
笑いの収集はうまくいっていないことがあります。
また、時間の記録もずれが生じているかもしれません。
amazonプライムから記録しているので、カットされている部分はとれませんでした。
要約:適当な記録として見てね。
◯全体の結果
それでは全体の結果を見ていきましょう。
まずは、点数です。
1stステージの得点は前述したように、特別審査員700点満点+3会場の観客審査員300点満点の計1000点満点で競われます。
その中で上位2組が最終決戦に上がり、優勝は特別審査員の投票で決定します。
おぎやはぎやDonDokoDonなどで、異常に低い点数がついてしまったので、一部で特別審査員の結果と合計結果で順位が異なります。
それでも1位の中川家は揺るぎません。さすが。圧倒的でしたからね。
特筆すべきは、2位争いの部分です。
実は特別審査員のみだと、最終決戦に上がっていたのはハリガネロックではなく、ますだおかだでした。
もし中川家がいなければ、本来特別審査員のみの得点では首位のますだおかだが落ちて、ハリガネロックとアメリカザリガニの2組で最終決戦を行うことになっていました。
これを受けてなのか、これ以降決勝では、視聴者や観客の得票は入ってこなくなりました。2015年以降の敗者復活とGYAO枠くらいですかね。
とはいえ、各審査員の最高得点をみると、中川家とハリガネロックに集中しています。
この点では、ハリガネロックも十分準優勝に相応しいコンビだと伺いしれます。出順の良さは勿論ありますが。。。
次に、ネタ部分の分析結果です。
1stステージの特別審査員の点数順に並べています。
まずネタ時間をみてみると、この大会では約5分間ネタをやったコンビが割と多くいます。
2018年大会では、和牛が5分近いネタをして、一部ネットで批判されていましたが、初期はかなり緩かったようです。
次にネタにおける笑いの数では、中川家の2本目がダントツで高いですね。
しかし、1分あたりでみてみるとますだおかだが一番高い値ですね。
中川家も2本ともほぼ同じ値で、この2組が笑いのスピードは抜けているようです。
30秒毎で見ても、上位の組が高い値を出していますね。
中川家は全体的に6~8(笑い/分)くらいは維持しているようですね。
次に笑いの間隔を見てみますが、その前に笑いのタイミングを、全組分プロットしたものを見てみましょう。
この図で点と点の間が大きいほど、笑いと笑いの間が大きいということになります。
中川家を見てみると、1本目では10秒以上笑いの間隔があいている箇所がほぼありません。
これは他の組と比べても、かなり笑いを詰めてます。
この理由は後述します。
これらを見ると、ネタ中に笑いをうまく継続させるには、
図の点と点の間隔を詰める
か
点を大きくする=1つ1つの笑いの持続時間を高める=大ウケ
の2つが必要だと考えられます。
この笑いの継続力という点でも、初期のM1では、まだ4分の攻略法が確立していなかったことが分かります。
というのも、近年のM-1用のネタと比較すると、この頃のネタの構成は、現在の寄席用のネタに近いのです。
4分のネタ中に、いくつかの設定をいれている組が多くあります。
例えば、フットボールアワーは
つかみ→早口言葉→幼稚園→暴走族→エレベーターガール→館内アナウンス
とネタが展開していきます。
ここで、それぞれの設定前に導入の説明が入りますが、その説明をしている間は笑いがないことが多いのです。
そうすると、せっかく早口言葉の場面で生まれた笑いの波を、一度リセットしてしまうことになります。
寄席のような長い漫才ではそちらの方が疲れずに楽しめるのですが、4分でより笑いをとるとなると話は別です。
このような特性を踏まえて、近年では決勝に来るようなネタはほぼ全て設定は1つです。
初期のM1をみるとあまり面白く感じない人が多いようですが、それは長い歴史の中で、この大会が4分漫才を成熟させていたということでしょう。
◯各コンビの分析・感想
それでは各コンビの分析と感想を手短に、出順通りに行っていきます。
1.中川家
圧倒的でしたね。
よく
第一回大会はよしもとが自分の芸人を優勝をさせる出来レースだった
みたいなことを言う人がいますが、この大会では圧倒的に実力が抜けていました。
先程、中川家は他の組と比較して笑いが詰まっていると言いました。
その理由としては、ボケの剛だけでなく、ツッコミの礼二も笑いをとっているのです。
礼二がツッコミや、設定の導入などでうまく笑いを盛り込むことで笑いを継続させています。
2018年にナイツ・塙が霜降り明星に言ったように、”強弱で言えばふたりとも強い”ということでしょう。
寄席向きの漫才構成ですが、うまく4分に適応するためにスピードアップさせて、持ち前の人間性(いわゆる"ニン”)で優勝をもぎ取りましたね。
第一回が中川家でよかったと思いますね。
初代チャンピオンの次は3代目チャンピオン。
初期のM1は未来のスターばかりで、今見ると豪華ですよね。
今大会のフットボールアワーはいくつかの設定を複合したタイプの漫才でした。
前半ボケを連発してうまく掴んだんですが、中盤の設定切り替えで中だるみした形ですね。
終盤の畳み掛けはこの頃から健在だったようで、4分以降の伸びは全組1位です。
3.チュートリアル
そして第6回チャンピオン。
この頃のチュートリアルは優勝した漫才の形とは、全く違いますね。
が、そのそれぞれがあまりウケには繋がっていない印象でした。
松本人志が最低点の50点をつけており、このことはかなりショックだったようです。
しかし、徳井がうまく役に入っている部分はちらほらウケており、キャラに入り込む能力の高さは垣間見えています。
4.アメリカザリガニ
3位のアメリカザリガニ。
ハンバーガーショップの設定で、1本通していました。
それが功を奏してか、うまく笑いが繋がっていたようです。
笑いの間隔平均は高いですが、後半はうまく詰め込んでいたので、全体通して見るとよくウケていたような印象です。
5.おぎやはぎ
伝説の大阪会場9点を叩き出したおぎやはぎです。
このことは今でも彼らはネタにしていますね。
笑いの数は全組みてもDonDokoDonと並んでかなり低いですし、笑いの間隔も広いです。
しかし、このコンビは明らかに普通に喋っているだけなのに、観客が笑ってしまう空気感があります。
のんびりとした独特の雰囲気はこの頃から健在でした。
6.キングコング
NSC22期のエース。
彼らがいたからあの世代は豊作だったといっても過言ではないかも?
ネタは、合コンの設定1本通しで、動きやテンションで笑いをとるスタイル。
芸人には嫌われそうなタイプですが、こういう風に笑いをとるのも誰にでもできることではないと思います。
笑いの手数は多かったですが、中盤の中だるみがあった印象です。
7.麒麟
今では実力者の麒麟ですが、当時は全国的にはノーマーク。
これ以来、ノーマークのコンビを「麒麟枠」と呼ぶようになりましたね。
個人的にはこのコンビはかなりオーパーツな存在と思っています。
というのも、この大会で見せたネタは、近年流行っている「伏線回収」の魅せ方そのものでした。
前半に弱いボケや不可解なボケを見せておいて、後半にそれに意味づけたり、再登場させる魅せ方が、「伏線回収」です。
2017和牛のウエディングプランナーや、2016スーパーマラドーナのエレベーターなどが伏線回収を用いたネタですね。
この方式を2001年から編み出していたとは恐ろしい。。。
当時松本人志はその斬新性に気づいていたようで、最高得点をつけています。
「僕は今までで一番良かったですね」
の言葉は何度か煽りVTRで使われていましたね。
これはボケの構造云々よりも、当時の視聴者や審査員ですらこのネタを測るものさしを持っていなかったことが敗因ですね。
良く言えば最先端、悪く言えば時代に合っていなかった。
8.ますだおかだ
中川家に次ぐ手数で、さすが次年度チャンピオンといったところでしょうか。
若干つかみが長いですが、葬式の設定1本通しで、うまく笑いが繋がっていました。
個人的には中川家の次におもしろかったので、特別審査員の結果が実際の結果なんだろうという印象です。
ぐっさんがコンビを組んでM1に出ていたことを知っている人は、今かなり減ってきたんではないでしょうか。
ネタ自体は、先述した寄席型の典型といった構成でしょうか。
これを10分見るのであれば、ちょうどよい薄さですが、4分には向いていませんでした。
春風亭小朝のコメント
「関脇の人が横綱相撲をとってしまった感じ」
これは言い得て妙でした。
中川家と似た構成ですが、自力の差が出てしまいましたね。
もちろんぐっさんは器用でおもしろ雰囲気ムンムンです。あくまで漫才の力という意味です。
10.ハリガネロック
今大会準優勝のハリガネロック。
笑いの間隔もよく詰まっていて、準優勝は妥当なものでしょう。
マシンガントークでテンポよく進んでいく漫才は、当時では若者向けという印象でしょうか。
若者からの人気が多かったことが、会場の声援からも伺いしれます。
◯感想
分析をしてみて、思った以上に手間でしたね。
あと、やはり最近のネタに慣れたせいで、あまりネタ自体は楽しめませんでした。
しかし、新しい発見もありましたし、分析のおかげで今までよりこの時代の漫才の面白さが理解できるようになりました。
この大会で一番おもしろかったのは、司会の赤坂氏が
中川家を石川家、ハリガネロックをアメリカンロックと間違えたシーンでしたね。
次回は2002を分析してみます。
ボヘミアンラプソディにハマらなかった自分の考察
先週の日曜にボヘミアンラプソディを、スーパー今更見に行きました。
内容としては、
超人気バンドのQueenの知られざる秘話
みたいな感じです。改めて説明はいらないとは思いますが、
去年からすごい映画とは聞いていましたので、1回はぐらいはと思い、見に行きました。
その結果、前評判で絶賛されていたほど、私はこの映画を楽しめませんでした。
評判からして、映画としてすばらしいのは間違いありません。
なので、私自身の感性やアタマの方に原因があると考えました。
そこで、私が楽しめなかった理由を考察しすることが、今回の記事の趣旨です。
注意点として、前評判ほどハマらなかっただけで、普通におもしろかったです。
あくまで、ドハマりした人と私の違いってところです。
まず、私自身Queenの楽曲は有名どころくらいしか知りませんが、かなり好きな部類です。
なので今回の映画でも楽曲のパワーに圧倒されましたし、Queenがもっと好きになりました。
他の感想を見ても、ライブの再現度の高さや音響の素晴らしさが評価されていましたので、音楽に関する感想としては、私と大きく違わないのでしょう。
それでは、音楽以外、つまり人間ドラマについてはどうでしょうか。
Queenについては、フレディ・マーキュリーくらいしか名前を知らない私ですから、今回の映画のストーリーはほぼ初見ばかりです。
他の感想では、こちらの人間ドラマに関しても絶賛の声が多く、特に歌詞に通じるものが多く、楽曲とリンクする部分を評価しているものが多い印象でした。
私は、人間ドラマについてはあまり感動はしませんでした。
その原因は、先述した「楽曲とのリンク」にあると考えました。
おそらく、私は楽曲とストーリーをほぼ切り離して視聴してしまっていたようです。
しかし、この映画は、大スターQueenのストーリーを彼らの楽曲やその意図とリンクさせることに醍醐味があるようです。
私は彼らへの関心はあまり大きくなかったようで、ストーリーよりも楽曲のパワーが大きく上回ってしまっていたようです。
このバランスが均等だと、うまくリンクできたのかもしれませんね。
とりあえず、わたしがボーっと見ていたのが原因と判明しました。
ボーっと生きてんじゃねえよ ってことですね。
読解能力をつけないといけませんね。
漫才分析〜フォーマット〜
前回は、漫才のツッコミについて分類をしました。
https://dogatom.hatenablog.com/entry/2019/02/12/222907
次はボケの分類でもしようかと思いましたが、ボケはかなり多岐にわたる気がしたのでやめときます。
今回は、漫才のフォーマットに関して分類をしていきます。
1.しゃべくり漫才
これぞ、THE・漫才って感じですね。
特徴としては、後述するコント漫才などとは違い、その漫才師自身の人柄で話している。という点ですね。
いわゆる、「ニン(人)」ってやつですね。
ブラックマヨネーズや、最近のかまいたちが一番分かりやすく当てはまるでしょう。
先程も書いたように、この型は役に入らずに、その芸人自身が話をします。
なので、その芸人が面白いほど、あるいは観客に受け入れられているほど、ウケます。
中川家なんかは、面白いオーラが出まくってますよね。
あそこまで実力と面白オーラが伴うと、劇場だと何を言ってもウケるレベルです。
おそらく中川家と全く同じネタを、出たての若手芸人がやっても、あそこまではウケないでしょう。(まずできないでしょうが。。。)
しゃべくり漫才は、ネタの構成と「ニン」がセットです。
なので、その漫才師にしかできない、特徴を活かしたものであるべきと思います。
「この人普段からこんなボケしてるんやろな〜」っていうのが好きです。
2.コント漫才
こちらも、THE・漫才って感じですね。
「俺コンビニの店員したいから、お前客やって」というやつですね。
特徴として、漫才中に芸人が特定の役に入って、コントをはじめるという点ですね。
ボケを羅列するだけで完成するので、しゃべくり漫才よりもネタは作りやすいです。
なので、おそらく漫才の中で一番多い型と思います。
M-1の1回戦くらいだと、コンビニや合コンの設定のコント漫才が、嫌ってほど出てくるようです。
なので、「俺○○したいから〜」と言い出したら、ネタを聞くのをやめる悪いお客さんもいるとか。。。笑
それをネタにした真空ジェシカのネタが面白いので是非見てください。(https://youtu.be/E6aOiGTwOXk)
しゃべくり漫才と比較すると、コント漫才はボケをたくさん入れられます。
役に入って、おかしなことをたくさんすればいいわけですから当然ですね。
このボケを多く入れられるという特徴は、M-1グランプリなどの時間制限のある賞レースと非常に相性が良いです。
しかし、それは短所にもなりうるのです。
ボケ同士の関連がなければ、結局ボケ→ツッコミのワンセットをいくつも羅列しているだけになります。
これではボケからボケへ、連鎖的に笑いが増幅させるのが難しくなります。
その点で言えば、しゃべくり漫才の方が、爆発力はあるように思います。
とはいえ、2018年の和牛のオレオレ詐欺のように、台本がしっかりしていると、伏線回収的に連鎖的ウケもありますし、2008年ノンスタイルのように、圧倒的ボケ数で爆発を起こすこともできます。
あと、コント漫才に関する批判について。
「これ漫才じゃなくて、コントやん。漫才やれよ」
という批判をネットで嫌ってほど見かけます。
コント漫才とコントは明らかに違うものです。
たしかにコント漫才は、漫才の中でコントをしています。
しかし、そのツッコミやボケの見せ方が、漫才でないと成立しないものばかりです。
ノンスタイルのネタを見れば分かりますが、あのテンポでのボケは、コント中には無理です。
また、コントは舞台セットなどの都合上、暗転などしないと伝わりづらい一方、コント漫才は場面転換をすぐに行えます。
この他にも、コント漫才は漫才でしか行えない見せ方を多数含んでいます。
コントを漫才に入れただけではなく、しっかり適応させたものにさせているのです。
コント漫才は、漫才ではあるが、コントではない。
短絡的な批判が少しでも減ることを祈ります。
3.漫才コント
コント漫才と何が違うんだ。
そう思った人が多いと思います。
特徴としては、ほぼしゃべくり漫才と同じです。
漫才中にコントインせずに、会話の中でボケとツッコミが展開されます。
では、しゃべくり漫才との違いはどこでしょうか?
それは、役に入っているかどうかです。
漫才コントは、しゃべくり漫才と比べると、ネタの構成に重きを置いています。
なので、「ニン」は比較的影響が少ないのです。
彼らの漫才は非常に面白いものですが、発想に重きを置いています。
なので、ネタは誰がやってもある程度ウケます。
良く言えば、台本が良いってことですね。
漫才コントは、大きく言えば、「こんな変なやつがやった漫才」というコントを終始行なっているイメージです。
おそらく漫才はこの3つで殆どが分類されると思います。
例の如く、歴代チャンピオンのネタを振り分けてみます。
1→ブラックマヨネーズ、チュートリアル?、トレンディエンジェル、銀シャリ、
2→中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、サンドイッチマン、ノンスタイル、パンクブーブー、笑い飯、とろサーモン、霜降り明星
3→(チュートリアル?)
やはりコント漫才が強いですね。
しかし、しゃべくり漫才も負けてないと思います。
チュートリアルは、あの徳井のキモキャラは、徳井自身のキャラのような、演技でもあり。。。
分類難しいですね。
徳井の個性が出てる気はするので、どちらかといえば1ですかね。
漫才コントはまだ優勝がないので、エグい発想で勝ち切るコンビを見てみたいですね。
漫才分析~ツッコミ編~
めっちゃ久しぶりの投稿になります。
体調不良やら、論文発表やらで少し更新が滞ってました。
その間に中川家のオールナイトニッポンを聞いていました。
その回はナイツがゲストに来て、漫才に関するトークが展開されていたのですが、その中で
塙「ツッコミってもしかしたらいらないのかなって思う時あります。」
礼二「漫談が成立してるんやからいらんのでしょう。」土屋「お客さんが気づくボケでお客さんが笑ってくれればいいわけですからね。」
塙「【強調してあげてる】みたいなことですもんね。」
という話が挙がっていました。
これは、「確かに」と再認識させられたものがありました。
しかし、昨今の漫才の中にはツッコミ不在では、ボケがそもそも理解できないという形式のものもあります。
そこでツッコミの形を私なりに分析してみました。
1.ボケ強調型ツッコミ
こちらは最もオーソドックスな形のツッコミですね。
シンプルなボケに対して、そこに勢いをつけるように訂正や怒りをぶつけるツッコミです。
THE・ツッコミ。「なんでやねん!」ってやつです。
このツッコミは大前提として、ボケが単独で面白い必要があります。
なので、笑い自体はボケを言った直後に起きます。
そのボケの面白さをより強調できるようなツッコミが必要です。
ボケ自体に自信がある時に用いられるので、ツッコミのワードを凝りすぎると少し情報が渋滞してしまいます。
なので、勢いよくスパッと一言でツッコめると良いですね。
2.ワードセンスツッコミ
こちらは先程のボケ強調型ツッコミとは売って変わり、弱めのボケに対してセンス溢れるワードによるツッコミを行います。
なので、ボケよりもツッコミによって笑いをとります。
現在はかなりこの型が増え、こちらの方が主流とさえ感じます。
そんな今から10年以上前に、この形によって衝撃を与えたコンビが、M-1グランプリ2004の南海キャンディーズです。
当時は「ツッコミで笑いをとる」という漫才師はほとんどいませんでした。
なので、強烈なしずちゃんのキャラに、山里のシャープなツッコミは新鮮に感じられました。
ツッコミで笑いをとる今の流行の火付け役は間違いなく彼らでしょう。
このタイプはボケがあまりにも面白すぎると、先程も言った情報の渋滞が起きます。
だからといってボケが面白くなくても良いわけではないので、そのバランスは非常に難しいと思います。
そのバランスが絶妙なのは銀シャリですね。
昔は鰻のボケはあまり面白くなかったのですが、M-1優勝の頃は、鰻のボケは単体でも笑える、なおかつ橋本のツッコミの邪魔をしない絶妙なラインでした。
今のあの2人のバランスは絶妙ですね。
見取り図も似たような型ですが、まだボケが少し弱いように感じます。
今後に期待ですね。
3.種明かしツッコミ
こちらは、新M-1チャンピオン霜降り明星に代表される型です。
この型は、ボケ単体ではイマイチよく分かりません。
しかし、ツッコミをいれることで、不可解な言動の意味が分かり笑える、という型です。
ワードセンスツッコミの進化系といえるかもしれません。
霜降りの優勝ネタから挙げると、「ボラギノールのCMか!」や「しょうもない人生!(走馬灯のボケ)」が分かりやすいですね。
この型はボケの情報を意図的に制限して、ツッコミで残りの情報を提示しつつツッコむことで、アハ体験的に「そういうことかい!」と笑わせるわけですね。
観客は情報の足りないボケを見た時に違和感を覚えます。
それと同時に「〇〇ってことかな?」「△△ってボケやろ?」と予想をたてます(勿論全く検討もつかずに「??」となる場合もあります)
ツッコミによってその違和感や疑問を解消するわけですが、ツッコミはその予想を超えたものないといけません。
予想がついてしまうものでは「やっぱりね」と呆れられてしまいます。
だからといってボケの情報を制限しすぎると、ツッコミの情報過多になりますし、観客がボケとツッコミを結びつけるのに時間がかかります。
その点霜降りは絶妙なバランスですね。
それどころか、後半は観客が粗品のツッコミに期待をして待っている状態でした。
ああなれば勝ちみたいなもんですね。
この型はネタの内容や構成に非常に強く影響されるので、同じコンビでもネタによって使ったり使わなかったりがあります。
なので例は近年のネタで使っているのを見たことあるコンビにしました。
4.同調系ツッコミ
本質的にはツッコミじゃないです。
ボケに対して深くツッコまずに乗ってあげるタイプ。
また、ボケのおかしな点は放置して、別の角度からツッコミをいれるものも一緒にしてます。
事実上のツッコミ不在なので、観客が心の中でツッコミます。
なのでボケはわかりやすいものが良いですね。
観客が自分自身でツッコむ必要があるので、好き嫌いが分かれやすい印象です。
ボケとツッコミの笑いの比率は、1と2,3の間くらいですね。
若手芸人に多いような印象です。
例)まんじゅう大帝国、Aマッソ、Dr ハインリッヒ
今の所思いついたのはこんなところです。
多分まだあるので、そのうち加筆します。
ちなみにこちらを歴代M-1チャンピオンに当てはめると
1→中川家、ますだおかだ、フットボールアワー、アンタッチャブル、ブラックマヨネーズ、チュートリアル、サンドイッチマン、ノンスタイル、パンクブーブー、笑い飯、トレンディエンジェル、とろサーモン
2→銀シャリ
3→霜降り明星
やはりオーソドックスが強い印象ですね。
しかし、最近になって2,3のチャンピオンがでてきていることから、新たな波を感じます。
4や新たなツッコミの形の新鮮なネタを見てみたいですね。
いじめの対処
こんな記事を見かけました。
https://www.meijitosho.co.jp/sp/eduzine/opinion/?id=20190035
内容は学校でのいじめに関するもので、いじめっ子の特徴やその対処法に関して書いています。
この記事曰く、
いじめっ子は、他の子に好かれたいような子が多い傾向にあり、その子自身をを怒るのではなく、周囲でそれを面白がる子を怒るのが効果的。いじめ自体を面白がらないようにさせることで、主犯格の子は疎外感を感じていじめなくなる。
とのこと。
主題の前に、この筆者は、
今回、私が説明させていただくのはあくまで「よくあるパターン」であり、全てではありません。
としっかり断りをいれてから、記事を書いていますので、曲解のなさらぬように。。
話を主題に戻します。
この対処法に関しては、私自身は思いつかない視点でしたので、とても興味深かったです。
こちらから矯正するよりも、自主的に辞めざるを得ない状況を作り出す方が、確かに効果的のように思えます。
しかし、この方法は子供達の関係性を乱すことでいじめをなくす、という方法です。
本人ではなく周囲の子達を怒り、彼らのフラストレーションを溜めることで、いじめを止めるわけですから。
生徒の模範たる教師が、いじめをなくすためとは言え、そのようなことをするのは倫理的にはどうなのでしょうか。
もちろん、いじめっ子の自業自得といえばそうです。
私自身も、この手法は効果的と思いますし、どちらかといえば賛成派です。
しかし、教員が生徒同士の仲を恣意的に乱すようなことが許されるのかは、議論の余地があると思います。価値観の違いな気もしますが
ただ、このような方法が現場レベルで求められているとするならば、実際の教育現場の問題解決の困難さが窺い知れます。