体罰が担った役割
以前、町田総合高校の体罰動画について記事にしましたが、その関連の話です。
https://dogatom.hatenablog.com/entry/2019/01/21/224051
この記事では、
教師が手をあげられないことをいい事に、手がつけられなくなった生徒は、厳罰化(退学、停学、通報)によってしか対処ができない。
という内容でした。
今回は、そうなるに至った要因を、教育現場の役割から考えていきます。
体罰による抑止
まず、体罰問題が大々的に取り上げられる(2012年ごろ)以前の教育現場について考えてみましょう。
その時代に教育現場が担っていた役割は擬似社会であると思います。
実際の社会に出る前に、学校で社会性を学ぶわけです。
社会では会社をクビになったり、極端な話逮捕されたりするようなことでも、学校内では先生に怒られるくらいで、停学や退学になることは多くはありませんでした。
つまり、社会に出る前に、ペナルティの小さい学校で一旦チュートリアルを受けるイメージですね。
実社会の前段階に学校がある、という二層構造になっていました。
しかし、実社会ほどのペナルティがないため、怖いもの知らずの悪ガキは現れます。
なので、対抗の抑止力として、いわゆる鬼教師の体罰が存在していました。
実社会における解雇や逮捕が、学校では厳しい説教や体罰が担っていました。
小さなペナルティの代わりに、教員からの暴力は黙認されていました。
これが良い悪いは別の話として、学校現場ではこれでバランスがとられてきました。とれてなかった学校もあるでしょうが。。。
抑止力不在
ところが、2012年桜宮高校の体罰問題が大々的に取り上げられて以来、そのバランスが崩れてきます。
体罰に対する世間からの風当たりが一気に強くなり、教育現場では体罰が大幅に減りました。
それによって、これまで体罰によって抑止されていた悪ガキが一気に解き放たれます。
それによって、教員をバカにしたような生徒や、暴言、暴力を加える生徒が現れるようになります。
この原因が、体罰という抑止力がなくなったことにであることは明白です。
実社会で言えば、ほぼ解雇や逮捕されることのない社会なわけですから。
今の教育現場には抑止力が必要なのです。
体罰がその役割を担えない以上、実社会と同様に、社会的制裁(大学、停学、逮捕)が必要でしょう。
厳罰化の必要があります。
厳罰化以外の道
以前の記事でも触れましたが、厳罰化による懸念もあります。
まだ未熟なうちの少年少女の、若き日の過ちでその後の人生に大きな影響を与えてしまうのはどうなのか。
子供に機械的に罰を与えたとしても、本当の意味での更生は望めないのではないか。
色々と問題点はあります。
仮に厳罰化を避けるとするならば、解決策は一つしかないと思います。
それは、
暴言以外の言葉によって、悪ガキを抑止し、更生させる能力を教師が身につけることです。
しかし、これは現状の教員でできる人は1%もいないのではないでしょうか。
少なくとも私は辛うじて1人知っているかどうかです。
教員教育の見直しか、厳罰化か。
あるいはその両方なのか。
今教育現場は過渡期にあるように思います。